28.  みんなを泣かせた『ハイライトBOOK』

28.  みんなを泣かせた『ハイライトBOOK』

「遅れます」と堀口さんにメールした。刻々と時間が過ぎていく。
4 時 45 分になった。講演会は 5 時までだ。あと 1 時間はかかるだろう。 まずい。まず過ぎる。
堀口さんにとって前代未聞のことだろう。お客様へお渡しする物が届いていないなんて・・ そのとき、はっと気がついた。 取り敢えず、今出来上がっている分だけ持って行って、 懇親会へ出ない人に渡そう。 残りは懇親会には間に合うだろう。

タクシーに飛び乗った。
会社のある両国から講演会場のある銀座まで 15 分。ギリギリだった。
しかし銀座は歩行者天国になっていた。天を呪う。タクシーが進まない。
会場へ到着したのは 5 時 30 分頃だった。誰もいなかった。 堀口さんへ電話したが通じない。 「終わりだ・・」 堀口さんの晴れの日を汚してしまった。
人混みの中を、段ボール箱を抱えてとぼとぼと歩いた。 汗が吹き出る。
擦れ違う人がみな、こちらをじろりと見た。
携帯が鳴った。堀口さんからだった。何て言おうか? 頭が動かない。とにかく謝らなければ。
「どうですか? みんな楽しみに待ってますよ。懇親会に間に合いそうですかね? 」 軽やかで明るい声だった。風鈴のように聴こえた。 「必ず間に合わせます!!!!!!!!!!」
もし堀口さんが男性だったら惚れているだろう。 ・・・あれ? えーと・・いや、そんなことはどうでもいい。 会社へ跳び帰り、残りの作業に取り掛かった。
新しい力が次々に湧いてきた。 8 時頃に出来上がった。エアコンもパソコンも照明もつけっぱなしで会社を飛び出す。 車をぶっ飛ばした。1 秒でも早く届けるのだ。

懇親会場のドアを開けた。 「堀口さーん、大越さんが来ましたよ」という声が聴こえる。 誰が誰だか分からない。顔を見れなかった。 次の瞬間、大きな拍手が起こった。いっぱいの笑顔と歓声に迎えられていた。
いま何が起こっているのだろう? 「遅れやがって」という空気は一握りもない。忘れられていたわけでもない。 楽しみにみんなで待っていた。そうとしか考えられない。
ハイライトブックを見た人たちが泣いている。あちらでも、こちらでも。

目覚ましい業績の向上とか、ドラマチックな自己の変容とか、そういうことを書きたかった。
しかし劇的な場面は思い浮かばなかった。
書くことが何もない・・ まだ「ひとみずむ」を書くのは早いんじゃないだろうか?
繰り返しそう考えては、慌ててそれを打ち消した。
冷蔵庫を開け、牛乳をひとくち飲んだ。 奥さんはリビングで横になっている。テレビがつきっぱなしだ。眠っているのかも知れない。 押入れから布団を出して敷いた。やはり眠っている。布団へ行くよう促した。寝ぼけている。

少しずつ気持ちに温かさが戻ってきた。 いつもありがとう。ちょっぴりそう思った。
このとき、変化が「そこ」じゃないことに気がついた。
気分の切り替えが早くなっている。 優しい気持ちがすぐに戻ってくる。
驚くような業績の向上も、涙なしには読めない劇的な変化も無い。
しかし「それ」以外が「ある」のではないだろうか。
奥さんに布団を掛け、部屋の灯りを消す。 カーテンごしに月が見えた。

ひとみずむ28 OHKOSHI フルバージョンPDFはこちら

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